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「これより、ヨーガの指南」の宣言につづいて、この ヨーガの定義が発せられる。
『バガヴァッド・ギーター』は、西暦紀元前後の成立 以来こんにちに至るまで広く愛されるヨーガの聖典で
あるが、それにおけるヨーガの定義――ヨーガは平等観《サマ トワ》(平等の境地)であると云われる。(U-48)
ヨーガは諸行為における熟練である。(U-50)放擲《サンニャーサ》と云われるもの、それをヨーガ
と知れ。
(Y-2)が人口《じんこう》に膾炙《かいしゃ》され ることは寡《すく》ない。
しかし、『ヨーガ・スートラ』の、――ヨーガは、心 の活動の停止は、その後ほとんどの学派に受け入れら
れたヨーガの定義の決定版である。
なお、「停止」の原語ニローダ(nirodha)は、『ヨー ガ・スートラ』にはこの先なんども現われるが、統一
した訳語を与えていないことをお断りしておく。
「静止」「制御」「消去」など文脈に応じて使い分け ることにする。
サーンキヤは、意識《マナス》、自我意識《アハン カーラ》、元意識《ブッディ》の心の階層を数える
が、阿闍梨《あじゃり》パタンジャリはそれら全部を ひっくるめて、チッタとよぶ。
そして、阿闍梨は、この定義ないしは命題の解析に向 けて、椰子の葉に刻した経文《スートラ》を並べてゆ く……
「心《チッタ》」とは何か?
「心の活動《チッタ・ヴリッティ》」とは何か?
「心の活動の静止《チッタ・ヴリッティ・ニロー ダ》」とは何か?
「心の活動の静止は如何にして」成るか?
それを語れば、ヨーガの思想と行法を語り尽くしたこ とになる。しかし――
なぜ、心を止めねばならぬのか? 
心が止まるとは、すなわち、白痴か植物人間になる ことではないか?
心は素晴らしいもの、人間にあたえられた神からの 贈物《おくりもの》、生物進化の賜物《たまもの》で
はないか?
誰もが、そう思うにちがいない。人 は、心 をもって考える(√man)生き物なのだ。
その問いに、阿闍梨は応《こた》える――(第1章三昧より)


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