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トランス・ヒマラヤ密教叢書

『キリストのヨーガ』―解脱の真理・完結編―
   

M・マクドナルド・ベイン著/仲里誠桔訳
ISBN978-4-86103-081-9 C0014 
四六上製 初版第1刷/1998年5月 初版第7刷/2011年3月
3700円+税
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本書は久しく埋もれていたマクドナルド・ベインの幻の名著である。
大いなる力によりチベットに引き寄せられた著者が大師方と起居をともにした7カ月間の“解脱の修行”を奇跡的業を交えながら啓示。
自我徹見こそが解脱(真理)へ至る道であると説く。


【目次】
第一章 ラサ―迷信と死せる宗教の都
第二章 キリストのヨーガを求めて
第三章 聖所(サンクチュアリ)
第四章 「サタン」の正体は「自我」である
第五章 「希望=不安」との決別
第六章 未踏峰ニブルン・リチュンの征服
第七章 「理想主義者」こそ殺戮の元凶なり
第八章 「記憶」という名の虚妄
第九章 童女ノブル-チベットの麗しき宝石


第十章 「死」の恐怖からの解放
第十一章 真実の「愛」は時空を超える
第十二章 霊体離脱-魂の高次元体験
第十三章 リンポチェ大師との再会、ノブルとの別離
第十四章 リンポチェ大師の法話-成ろうとすることの誤り
第十五章 リン・シ・ラの隠者様の顕現
第十六章 愛のみが唯一の行動原理である
第十七章 聖なる交霊会-聖アンソニーの降臨


 
はしがき

 「キリストのヨーガ」とは、キリスト意識のことである。それは、他のあらゆるヨーガに勝る。キリスト・ヨーガは解脱である。解脱なくしては、キリスト意識は存在しない。存在するのはただ、流儀や知識や行法を背負った自我だけである。

 欲望や探究には、相反するものを伴い、抵抗が生ずるものであることが、われわれの進歩につれて分かるようになるであろう。あらゆる欲望や探究は自我の延長にすぎず、真実なるものではない。キリスト・ヨーガは真実なるもの、すなわち神我を覆い隠す一切のものを徹見する(understand-ing)ことである。ゆえに、それは他のあらゆるタイプのヨーガとはまったく異なる。後者(他のヨーガ 〔補訳〕)は、なんら成果を得ることなしに終わる探究を要求する流儀にすぎない。かくして、「成る」とは、まさに一個の幻影である。実在は今である。即今只今現存しているのである。

 さて、新しいもの、常に更新するものを正しく理解するには困難がともなうものである。このことに留意するのは大切である。われわれは心を造り成しているものを理解することはできる。しかし、新しいもの、真実なるものに対して抵抗させるのは、この心を造り成しているものなのである。

 ゆえに、この書をひもどくにあたっては、音読し、あたかも他の人が音読していて、それになんら抵抗することなく、偏見も抱くことなく、ひたすらに聴き入るがごとくに聴き入ることが大事である。こうして初めて心はあらゆる対立物や信仰や虚構を纏った自分自身を知ることができる。

 わたしが今言おうとしていることは、自由すなわち解脱への道、すなわちキリスト・ヨーガに目覚めようとしているあなたにとって、きわめて重大なことである。たいていの読者の人々の聞き方には身が入っていない。彼らは、自分の聞きたいことだけしか聞かない。彼らを洗脳(condition)しているもの、彼らの信仰や見解を突き破ったり、あるいはそれらを揺さぶるものには自分自身を閉ざしてしまう。彼らは心地よいもの、彼ら自身を洗脳しているものを満足させるものにしか耳を傾けない。

 しかし、われわれが自分を喜ばせるものだけ、また自分の信じていることや観念を満足させ、あるいは確認させるものだけに耳を傾けるならば、正覚(understanding)はありえない。あらゆることに偏見を抱かずに、また自分の無知、自分の堅信、自分なりの知識、自分特有の個性、自分の見解を守るために防壁を築き上げることをせずに耳を傾けること、そして事柄の真理を見出す意図をもって耳を傾けることは一個の芸術である。なぜならば、われわれを根本的に解脱させるのは真理のみであって、推論や空論ではなく、真実ならざるものを知覚することだからである。心を造り成しているものは真理ではない。真理は心を超えたものである。ゆえに、真理が啓示されるには、心は担造をやめなければならない。

 せせこましい、頑迷な心、おのれをがんじがらめにし、盲目にするもろもろの信仰や知識によって洗脳されている心に、物事の真理が啓示されることは決してありえないのである。

 自分勝手に決め込んだことや偏見や経験で散らかっている心でキリスト・ヨーガをものにしようとしたところで、それは不可能である。キリスト・ヨーガは愛、神の英知、すなわち無擬にして活発々たる神我であって、単なるその観念ではないのである。そのような観念は、神我の創造性に対する障害である。観念は、あらゆる洗脳するものによって取り囲まれた自我の投影にすぎない。

 ゆえに、耳を傾けるにあたっては、単に言葉を聞くのではなく、その内なる中身に耳を傾けることである。そうすることによって、あなたは物事の真理を自らの力で発見するであろう。心が自ら造り成したもろもろのものより解き放たれた時初めて真理は現前する。あなたが日々の苦闘、恐れ、事業の心労、家族の葛藤、社会での怨憎や欲求不満の中にとらわれているならば、それはあなたにとってあまりにも耐えがたきものであろう。それゆえに、あなたは救いの手段として、言うところの真理を追い求める。しかし、そのような形の逃避はいかなる問題をも決して解決することはできない。それは、いたずらに心を鈍らせるだけであって、混迷は依然として残る。心が刺激やいわゆる霊 感により、あるいは祈りや真言によって逃避しょうとする限り、解脱に必須な心自身の成り行きを見極めることはできないのである。

 自我を知ることこそが唯一の道である。あらゆる形の逃避はキリスト・ヨーガの基底にある基本原理よりあなたをそらせるものである。

 ゆえに、耳を傾けるに際して心すべきは、あなたを解脱させるのは観念の着ではなく、単なる推論や理論や空論ではないということである。それらは真理の創造性に対する妨げでしかない。自分で造り上げたあらゆるものを纏った自我を看破して初めて、この自我に関する知識(すなわち、酌掛撃こそが毒への戸口であり、キリスト・ヨーガへの関門であることが了得できるのである。

 

 

 
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