会社概要問い合わせ特定商取引法上の表記個人情報の取り扱いについて  

 

カバラ・シリーズ 【カバラシリーズ第五巻】

『魂(カバラ)の学校』 S・ハレヴィ著/松本ひろみ訳

 
エデンの外で嘆き悲しんでいたアダムに大天使ラツィエルは『秘密の書』を授けた。その時から、人類が降下以前にいた元の高い所に、また戻ろうとする過程が始まった。何人かのカバリストが言うには、実際、禁じられていたリンゴを食べたのは自由意志とはいえ、全能の「聖なるお方」はそれを予想していたそうだ。それは両親が、子供がルールを破ることで、その子が住んでいる宇宙について学ぶことを期待するのと同じことであるという。自分の行動により、アダムとイヴは「創造」の高い意識の世界を開け、もう一つの次元に気づいた。その結果彼らは、自分たちの得た知識を今後は誤用しないようにと〈下〉の世界に送られたのだという。なぜなら彼らはもう無邪気とは言えず、また成熟もしていなかったからである。物質界に下りてくることはトレーニング・コースの第一段階で、そこで自分が経験したことを、〈上〉の世界にも〈下〉の世界にも広げることができるのである。そういうことが出来るのは、地上界にも天上界にも人類以外にはいないのである。
 ラツィエルの書はただ単に哀れみから与えられたのではない。偉大なる目的があったのである。それは人類の命運を完全に救うためであった。それには宇宙を支配するあらゆる法則が網羅されており、存在の複雑さを通り抜け、成熟と責任を果たす力を得て、神性なる存在に戻っていく道を見つける方法が書いてあると言われている。この無邪気さから経験を積むという「道」は偉大なる計画の一部分であり、その過程で人類は存在の内にも外にも、あらゆる視点で完全に意識的になることができるようになるのである。そのような達成こそが、偉大なるアダムと小さなアダムが互いを映し出し、神と神がまみえる時、人類と宇宙はその同じ〈顔〉のイメージなのだと理解することなのである。それこそが顕現した神性なのである。
 この状態の全自己実現を最初に達成した人がイノークである。その名前には、イニシエイトという意味が埋め込まれている。そのころ、他の人類たちは生存競争を学んでいたのであるが、彼は長い間の隠遁生活を経た後に、皮膚という上着を脱いで、〈上〉の世界に上げられ、そこで〈上〉の世界の素晴らしさを見せられたそうである。彼はそこで地上へ戻ってきてから神への道を伝える方法を教示され、その時から人類の進化がスタートした。彼こそが回帰の道を求める人に、〈上〉から授かったものを〈下〉の世界に伝えた最初の人であった。多くの人が彼の話を聞きにやってきた。その中には王や王子も含まれていた。彼がその人たちを導いていた間は、この低い下の世界は平和であった。
 伝説によれば、アダムが葬られた年に、イノークは公的な世界から引退し、神に献身する決心をした。しかし、そうすることは許されなかった。人類が彼の導きを必要としたからである。実際、人々は彼がこの世界に留まることを嘆願した。最後に彼が地上で神の法に従っていかに正しく行動するかの授業をし、その結果、再度天国に運ばれ、ルシファーが落下したために空席になっていたその場所を継ぐこととなった。そこで偉大なる大天使メタトロンになり、あらゆる年代にわたって人類への「教え」の責任者となった。これを果たすために、彼は死を味わうことなく、通常の生と死のサイクルから引き上げられたので、火の存在へと変容し、アダム・カダモン(訳注 カバラで言う原初の人間。『カバラ入門』参照)の最初の完全に意識的な細胞となった。このようにして最初の人間は神性なる意識が内に存することを知ったのである。
 イノークは最初の真の先生であった。またエソテリックな学習の集まりの長でもあった。そのようにして彼はとどまり、いろいろな名前で知られている。霊的伝統の中ではそれぞれヘルメス・トリスメギストスやトート、イドリスなどと呼ばれている。カバラでは尊敬に値するエライジャとして現れ、イニシエイトたちに〈伝統〉の内なる秘密の教えを教えた。偉大なる律法学者として現れたイノークは、どのような形で顕現したとしても すべて教えの伝達の動きにかかわっている。だから、ヤコブ・ベーメを訪ねてきた不思議な先生やビラン・ガオンの二人の生徒が窓越しに見た人が、部屋に入ったときはいなかったというような話を聞くのである。
 これらの伝聞は、エソテリックな教えの伝達を全体的な視野でみると同じように、各個人の霊的な発達にとって重要なときには、ごく個人的に温かく興味をもってみている人がいることが示されている。伝統や系統(ライン)、学校やグループの中間的レベルはそのような人によって面倒を見てもらっている。その人達とはイノークの足跡を追っている人達である。カバラの伝統の父であるアブラハムが、メルキゼデクという正義の王の名のイノークに、エルサレム郊外で実際にイニシエーションを受けたということを信じるにたる理由がある。
 西アジアからヨーロッパまで、いくつかの霊的伝統がある。ヒンドゥからペルシャ、エジプト、ケルト、チュートンまで「教え」の翻案がある。カバラはヘブライ的表現であり、ローマ帝国とイスラム帝国のときはキリスト教となってペルシャ、アラビアの系統と習合した。これらの霊的伝統は各々の文明を見守っている霊的ヒエラルキーとイノークと独特の接触を持っていた。ストーンヘンジの真ん中に立ってみれば、またはルクソールのカルナック宮殿を歩いてみれば、だれでも、意識を上げることができさえすれば、そこがただの礼拝するところではなく、教えの研究所であったことが感知されるであろう。
 われわれ西洋にあっては一番多く記録が残っているユダヤの伝統の流れを追ってみると、聖書の中にも、膨大な民間伝承の中にも、『セフィール・イエツラー』のような秘教の書物の中にも、多くの教えを見つけることができる。しかしまたタルムードのようにその痕跡しか残っていない場合もある。書物というものは教えの外側の雰囲気を、聖櫃や儀式や律法という設計を通して詳細に語ってくれるが、トーラの隠された視点がなければ意味がない。この二つの組み合わせは律法の二枚の板という象徴で表される。口伝では、一枚は昼間勉強されるべきもので公開されていて、もう一枚は夜勉強されるもので秘密であると言われている。
 なぜなら、この種の事柄は準備なくしては理解できないことであるうえに、用意がなくて学ぶと単に部分的な理解になるだけでなく、他の人に誤解を与えることになるからである。このことの例としては、輪廻を人はただ単なる再誕生のプロセスと考えるが、再生という決定的な出来事にはもっといろいろなことがあるのである。もしある種の問題の解決を先送りにしていると、次の人生でまたその問題に出合うということがある。エソテリックな隠された知識というのは大衆消費のものではない。実際あなたが読んでいるこの書物も読者が書いてあることを理解してくれなければ、何の意味もない。
 聖書では、年長者や司祭や預言者は「知っている人」の象徴であり、この知るとは「グノーシス」の意味である。事実、後にカバリストは「尺度を知っている人」と呼ばれた。この尺度とは存在の法則である。最初の捕囚の後で戻ってきたとき、伝統を伝えるライン線はバビロンに残してきた学校にも、パレスチナを再興しようとした人々の中にもあった。後にかつての場所にいるユダヤ人が植民地を作ろうとしたころは、グループは北アフリカや西アジアやヨーロッパにもあった。第二神殿時代には、最も重要な内なる教えの中心はエルサレムにあり、神殿の中と旧市街のたくさんのシナゴーグの学習室に、グループがあった。このころ、司祭職であるパリサイ人とエッセネ派という異なった流れの始まりをみることができる。
 もう一つは初期のキリスト教徒である。後に、ローマ帝国によってヘロデの神殿が破壊されてから、学校はガリラヤの北に移動した。偉大なるラビ・ベン・ヨハイはそのような学校の長であった。これらのライン線が力を失うと、バビロンの学問的アカデミーがバカラ(恩寵)を受け、〈伝統〉の主なる伝達者になった。このような活動にかかわった人についてはほとんど知られていない。しかしセフィール・イエツラーのような書物とか、ヘカロット文献というような天国の地図を描いているようなエソテリックな片鱗は、当時のラビが神秘主義に大変興味を抱いていたことを示すものである。
 バビロンのラビのアカデミーが衰弱し始めると、多くの学者が西に向かい、商業路を伝わってヨーロッパや北アフリカに移動した。そこでは高い知識を求めるグループがあったからである。その独特なラインの一つは、コリマイデス家族によって伝えられ、イタリアを通って北に向かいアルプスを越えドイツに入り、東洋の神秘主義とゲルマン・ユダヤの信仰を中世において混合した。もう一つの流れは、プロバンスを通って、そのころ特に高い文化的レベルにあった十二世紀のスペインに入った。ここでいろいろな学校が教えを翻案した。というのも、そのころのインテリが夢中になっていた哲学に、脅威を感じたからである。さまざまなラビが中心にいて、グループは手紙や代表を交換し、考えを発達させるためにも頻繁に訪問し合った。このころカバラが、カバラというその名で知られるようになったのである。
 ユダヤの学校以外にも、キリスト教とオカルトの伝統があり、彼らはカバラの教えを彼らの形に作り直しているのである。これらは後に寺院建築のメイソンや、薔薇十字のようなさまざまな流れとなって発達していった。異なった流れのスペインとドイツのカバラの流れは、互いに非常に際立った性格を持っているので良い例になるだろう。前者は知的で後者は献身的である。両者の流れの中でいろいろな学校が出現した。あるグループは瞑想の方法に専念し、あるグループは形而上学に夢中になった。それぞれのグループはごく自然にリーダーの性格と興味に影響された。この現象は、後に十六世紀のガリラヤのサフェッドという町に興ったいろいろなグループにも見られた。ここでは輝ける思想家コルデヴェロが一つの学校を率いていた。彼の優秀な学徒でカリスマ的なルーリアは別の学校を興し、全く違う方向をとった。非常に深く献身的な学派が、ドイツとポーランドのルーリア派に生まれ、オランダとイギリスのグループはより世俗的なアプローチをとった。哲学者のスピノザやイギリスのフラッドはそれらの学派の産物である。
 教えの流れはいつも伝統的とはいえない。特にカバラは、刷新とリフォームが〈伝統〉を活性化し、むしろ保守的なのとは反対の立場を取るという歴史がある。今日においては、世界中に活動中のいくつかの流れがある。もっとも保守的なのはエルサレムの正統派グループである。他には、必ずしも明らかにカバラの流れと理解されてはいないかもしれないが、ヨーロッパとアメリカにあり、南アフリカとオーストラリアにはグループの萌芽が見られる。今日のカバラは一世紀前のカバラとは同じではない。世界は二つの大戦で社会と技術の発達で非常な変化を体験している。だから教えも変わらなければならない。しかし一方ではイスラエルで、より伝統的な学校が存在し続けている。
 現在、霊的なグループと個人が地球規模のネットワークを作ろうとする膨大な動きがある。かつてこれほど多くの教えが互いに近付いたことがあろうか。だからカバラはその独特の様式と方法を保ちつつも、他の伝統ともかかわっていくだろう。しかしこの働きを完全に理解する前に、何がグループを作り、どのようであって、人間の家族のレベルでどのようにそれが働くのか理解していかなければならない。より大きな計画のどこに、際立った実体として組み合わされるかを後に見てみよう(3教えの連鎖より)。

 
ページtopへ
 

copyright 2007 shuppannshinsya all right reserved