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スピリチュアル・シリーズ 【カバラシリーズ第四巻】

『カバラの宇宙』─生命の樹─

 
 「初め」以前

「超絶」なる「神」はカバラでアイン(AYIN)と呼ばれる。アインは「無物」(No−Thing―「無」)を意味する。アインは「存在」(イグジスタンス)を越えており、如何なる‐物(any−thing)からも切り離されて区別されている。アインは「絶対(AbsoluteNothing)である。アインは上方にも下方にもない。又アインは静止状態でもなければ動的状態でもない。アインが在(ざい)する所は何処にもない。何故ならアインは在しないからだ。

アインは無音であるが、又沈黙でもない。アインは(虚)空(void)でもない。それにもかかわらず、アインの無物状態(無物性)(no−thingness)の零(ゼロ)からアイン ソフ(EN SOF)(別綴り「AYIN SOF」)という一(いち)(ワン)が出て来る。ヘブライ語でアイン ソフは無限を意味する。アイン ソフは、アインの「ゼロ」に対する「一」であると言うのと同じように、アインの「絶対無」に対して、それは「絶対全」(AbsoluteAll)である。

「超絶神」はアインであり、「内在神(宇宙遍在神)」はアイン ソフである。この二つ、「無」(Nothing)も「全」(All)も同じである。インとアイン ソフの呼び名以外、如何なる属性も「絶対」には与えられない。神は神であり、神と比較できるものは何もないのである。

 伝統(聖伝)(トラディション)に依れば、神は神を見たいと思い、この神の「意志」は象徴的に現われて光となり、それが無所(nowhere)に輝き、全所(つまり、至るところ)(everywhere)に輝いたということだ。そうして、アイン ソフ オール(EN SOF AUR)、つまり神の意志の「無限光」は「絶対全」(Absolute All)の隅から隅まで全知した。神は、神を眺めるために、全てを知りたもう(神の全知)地点から離れようと初めて思った。これを成し遂げる為に「絶対全」の中で収縮が為された、と伝えられている。つまり、収縮した結果、そこに場が作られ、その場に「存在(界)(イグジスタンス)」の鏡が顕われるようにしたのである。(注1)

注1)つまり神は鏡に自ら映すことで神を見れるわけで、その神を映す鏡が「存在(界)」なのである)。

 この神の収縮(行為)で空けられた場は有限だ。つまり、その場を維持している「絶対全」に比して、それには限界があるのである。「ヅィムヅム」と呼ばれるこの収縮行為によって、絶対の真っ只中でほんに僅かな一点の空間とは言え、「未顕現の存在(界)」なる空所(ヴォイド)がもたらされた、と伝えられている。

 「未顕現の存在」とは、(中身のない)「空(から)」の状態(つまり、入れ物などで、その中に有るべき中身がない状態)の場のことである。それは「陰、あるいは負」の状態(ネガティヴ)ではあるが、ボールの中身の空(から)状態と同じで、物(thing)であるから、「無物性(No‐thingness)とは全く異なっている。(陰の)未顕現の存在の中に妊まれ、それが「陽の存在」(Positive Existence)として、つまり存在物として現われて来るようになる為には、この様な状態(未顕現の存在)が(先ず)存在しなければならないのである。

 あるグループのカバリストは、神の「意志」は「無限光(アイン ソフ オール)」として象徴的に現われ、その光が(神の収縮行為によって)空けられた場を取り巻き、そして「未顕現の存在」なるその空間に一条の光線と成って射し込み始めた、と考えている。そして、次の段階で三要素に焦点が合わされ、その結果顕われた要素は空間を作った。この三要素の先ず第一は「絶対の意志」、第二はその意志を受け止めて事を引き起こす「行為」、そして第三はその出来事のエネルギーを受けとめて中に含み、それに枠組みを与える器となってそれを「限定」するものである。カバリストによっては、エンソフオール内で作用しているこの三つの原理を三つのザーザーオト(Zahzahot)、つまり三つの「秘められた輝き」(Hidden Splendours)、と呼ぶ。

 ザーザーオトは隠れた根の部分で、ここからゆくゆくは数々の一連の最初の大法則が発し、この法則が「存在」を支配することとなる。ザーザーオトは神の意志に監督され、拡大と収縮の過程(プロセス)を発生させた。カバリストは時にはこれを「絶対」の直々の監督下で働いた「慈悲」と「峻厳」の最初の行為として見ている。この「秘められた輝き」は、「未顕現の存在(アンマニフェスト イグジスタンス)」と「顕現した存在(マニフェスト イグジスタンス)」のどちらにも属さず、その枠外にあるにもかかわらず、この輝きは宇宙の本質に深い影響を与える。「宇宙(界)(ユニヴァース)」は、この「輝き」の相互作用の結果であり、アイン ソフの意志から発して、存在するに至ったのである。

 アインソフオールが空間の周辺に浸透し始めた時、以上述べた、成りつつある、つまり生成の出来事が起こった。アイン ソフと空間との間の境界線を貫いて、カヴ(Kav)、即ち神の「意志」なる一条の光線が最初に浸透した時に、「存在(イグジスタンス)」は「絶対」から分離(セパレーション)した。何故なら、陽の「存在」が発生することによって、アイン ソフは封印され、それは顕在の裏に隠されてしまったのである。それで、時々、アイン ソフは「最奥に隠されたもの」(Concealed of Concealed)と呼ばれる。

 この空の場の円周上に最初に顕われたものは、時には「王冠の主(最初の王冠)」と呼ばれている。他にも、「隠されたものを隠すもの」(Concealer of Concealed)とか、「白い頭」(White Head)とか、「王冠中の王冠」(Crown of all Crowns)といったような沢山の名がある。大抵のカバリストはその場を、「エーイェ」(EHYEH)とか「アイ アム」(I AM)(注2)といった神の名で知っている。ここから「絶対の意志」によって「存在(イグジスタンス)」が生じて来る。

 注2)「アイ アム」の意味の詳細は4章の(注3)を参照せよ。

 神の顕現として現われた最初の「光」、それはセフィラーと呼ばれるが、この最初のセフィラーは、ありとあらゆる過去、現在、未来、つまり一切全ての種(たね)となる。そして全ての他の光、即ちセフィロト(「セフィラー」の複数形)はこの(最初の)光から流出したのである。この光は、「絶対」と相対的な「宇宙(界)(ユニヴァース)」との境目にあって、均衡状態の全世界を含んでいる。アイン ソフ オールの意志が空間の中へ入り込み、流出して顕われて来るまで、「王冠の主」は森羅万象の可能性としてあるのみで、未だ認識されるにまでは至っていない。

 「世界(ワールド)」が存在に至るように神の意志が発っせられると、種が「神聖な樹」(ディヴァイン・ツリー)の根を出し、下方に向かって幹が延び、枝となり、果実を実らすことになった。この「神聖な樹」が「世界(ワールド)」と神との間の媒介の役割を果たすことになる。

 
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