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カバラ・シリーズ

カバラコース完全マスター 実践するカバラ 

 
知識

 宇宙はカオスではなく、一組の法則によって支配されているということを、まず前提として受け入れねばならない。すべてが動きの中にあり、ときに秩序がなくばらばらに見えるが、実際は、<存在>は非常に精密に組織化された実体である。そうでなければカオスに支配され、誕生や成長、死という過程も、そして進化や溶解といったものも存在しないであろう。<存在>の規則や目的を理解することが知識を追求する目的である。

 これは地球上に現れた最初の人間が環境を調べ始めたときに開始された。初め彼らは本能に、すなわち、鉱物、植物、動物界を通じて獲得された生得的な一連の経験に縛られていた。それらは、身体の化学作用や細胞、臓器のもつ叡智の中に伝えられていった。そのため、地上的状況への初期の人間の反応は、ちょうど縁者である類人猿のように、ほとんど自然の反射作用のごときものだった。しかし、人間は高度に発達した物質的有機体以上のものである。男も女も周囲の環境を超えて考える心を持っており、過去や現在、未来について推理し、結論に至ることができる。

 熟慮し、実験し、創造するこの能力は人類だけのものである。それは偶然ではなく、原子や元素、星々、惑星、そして地球上の生命の複雑に相互作用する生態系をも創造した神の計画の結果である。人類は肉の身体に生まれてきた、あるいは聖書がいうように、「皮膚の衣」を身に着けてきたかもしれないが、反省し創造する能力が、もっとも発達した類人猿のそれとも全く異なった次元のものであることは明らかである。

 この類のない能力によって、人類は数万年にわたって多量の知識を積み重ねてきた。人類はこの知識を応用し、この惑星の表面を大きく変えてしまった。地水火風を支配することによって農業や初期の技術革命をもたらし、荒野の中に侵入していったのである。このことは恒久的な村や町、都市文化を産み出した。都市と共に、基礎的必需品や交易、産業を超えて物事を考える専門家が誕生した。部族のシャーマンの仕事を基礎として聖職者たちは、<存在>の幻視的理解に秩序だった研究を付け加えた。ここに、知識の2つの系譜が始った。

 自然現象の観察から、太陽や月、星々のリズムの正確な記録が生まれた。このデータは宗教的、経済的動機にとっても有益であったが、それをもとに受け継がれてきた宇宙についての、直観や霊感、啓示によるシンボルの背後に潜む意味の探究が始った。地上の出来事と天界の出来事の間にはある種の一致があるように見えた。不作や豊作といったこと以外に、平和や戦争の期間があり、それらはある天体の配置と同調しているように思われたのである。

 文明の発展とともに、さまざまな天空の動きとそれらの地上的出来事への明らかな影響を詳細に記録することが続けられた。たとえば、血の赤い惑星、火星が天空の特定の部分にあると、個人間のみならず、都市国家間に衝突が起きることが記録された。さらに、鈍く、ゆっくりとした動きの「放浪者」、土星がある天文的位置にあると、地上の事柄に抑制的ではあるが安定化させる作用を及ぼすように見えた。事実、あらゆる可視の惑星と2つの発光体、太陽と月は、天界を取り巻く獣帯の特定の部分に関わると、明らかにさまざまな程度の効果をもたらした。

 天体の影響に関する情報の全体はメソポタミアの最初の諸帝国とローマ権力の絶頂の間に集められていた。天体の正確な位置を記録することを可能にした緯度経度の座標を持つ天球図の中でこれはまとめあげられた。この頃までに獣帯はそれぞれの部分の特性を定める12のシンボルに分解された。これらのシンボルは多くの人が信じているように、やがて位置やパターンを変えていくことになる12の星座に従って形作られたものではない。シンボルは、季節の12の段階や、太陽が各々のサインにあるときに生まれた人々の気質に基づいていた。こうして、たとえば、獅子座は、その放射するたてがみの中に、真夏の暑さと乾燥の30日や、そのときに受肉した人々の火のようで開放的な性格を物語っていた。一方、山羊座のサインは、冬至の後昇り始めるときの、寒く乾燥した冬の最も低い太陽と、山羊座の人間の鈍感で野心的な性格を明確にした。

 シンボリズムはこの未分化な時代における知識の言語であった。科学的、技術的情報は占星学的状況を記録するのに重要であったが、シンボリズムは普遍的で元型的な原理を説明し、証明するために用いられた技術様式であった。たとえば、12の基本的な心理的タイプはイスラエル12部族やイエス12使徒の中に提示されていた。これらの元型は、太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星それぞれの個性へと細分された。それらは神話の神々に関連づけられていた。そのようなシンボリックな像は古代人類に共通であって、彼らは天と地はさまざまな神々によって支配されていると信じていた。

 天の神々は不可視の領域を占有しているものと認められていた。そこにはまた、死者やまだ生まれていない人間たちが住んでいた。ここでは、別の諸現実界という理念が考慮に入れられねばならない。それは基本的に秘教の前提である。物質的宇宙は<存在>を構成するさまざまな領域の最低次のレベルに過ぎないのである。原始的な古代文化は、神学的あるいは哲学的概念としてではなく、経験的事実としてこの概念を受け入れていた。このことは、たとえば、幽霊や精霊、天国や地獄といった世界に広がる信念によって確認することができる。

 占星学は整理された観察と想像を結合したものであった。不幸にもローマ時代には、無知な大衆の間では迷信的な流行になってしまっていた。このことはまた、魂の不死の理念を、身体をミイラ化する儀式にまでしてしまったような多くの退廃した秘教的実践についてもいえた。にもかかわらず、真面目な占星学者はその技術を実践し続け、占星学は中世の始めにアラブ人とユダヤ人によって再活性化された。彼らの発見はそれをさらに豊かなものにし、自由意志対運命予定説に関する問題では、宗教と哲学の間になされた重要な議論の一翼を担い、西ヨーロッパ人の興味を喚起することとなった。

 哲学は理性的方法であり、中世の時代それは宗教的信仰を試み、確かめる道具となった。占星学は観察と直観の双方を用いるという意味で、2つの「真理」の中間に位置していた。論理的には説明できなかったが占星学は、ある法王が占星学者の薦める日に戴冠式を選ぶという程に効果があるように思われていた。事実、天体の状況を考慮することなしには、どんな将軍も戦を始めず、どんな船長も出帆しなかったであろう。中世とルネッサンスは占星学にとって偉大な頂点であった。いかなる専制君主も、商人も、内科医も、太陽や月、惑星の位置を考慮することなしには決定を行わなかったであろう。

 
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