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トランス・ヒマラヤ密教叢書

『神智学大要』第二巻アストラル体(下)

 
第二十四章 生まれ変わり

カルマの法則

 魂をデヴァチャン(天界)に押し上げた動因、言いかえれば動力(複数)が枯渇し、収集した体験を全部同化し尽くすと、魂は物質界層でしか満足させえない感覚的物質生活に対する渇望を再び感じ始める。この渇望をヒンドゥ教徒はトリシュナーという。その意味は、第一には自分自身を表現したいという欲望、第二には外部からの印象(それだけが自分の生きている証であると彼は思っている)を受けたいという欲望、であると考えてよい。それは、トル?この両者こそが進化の法則だからである。

 トリシュナーはカルマによって作動する。カルマこそ個人にとっても宇宙にとっても再生(生まれ変わり)の第一原因なのである。

 デヴァチャンでの休息中、魂は一応は一切【すべて】の苦痛や悲嘆から解放されたが、過去世において彼が犯した罪業は消滅したわけではなく、その作動が中止している状態にすぎない。新しい生まれ変わりに備えて、新しい低我(肉体、エーテル体、アストラル体、メンタル体)が形成され始めるや否や、過去世の非行傾向が芽を吹き出す。かくして魂は過去世の荷を背負わなければならない。過去世の苅り入れとして現われる胚種あるいは種子ともいうべきものを仏教ではスカンドハskandhaという。こうして欲望はその無数のスカンドハと共に、デヴァチャンの門口で待ち構えており、魂はこのような状態の中から出直して、新しく生まれ変わるのである。スカンドハは様々な肉体的特徴、感覚、抽象的考え、精神傾向、精神能力などより成る。

 生まれ変わりの過程は、魂がまずその精神単位【メンタル・ユニット】に注意を向けることから始まる。すると精神単位はただちに活動を始める。次にアストラル恒久原子に注意を向けその中に自分(魂)の意志を降し入れる。前に見てきた通り、もろもろの精神傾向の働きは停止状態にあったが、魂が生まれ変わって地上に戻る時、これらの精神傾向は魂によって外側に押しやられて、その周りに、まず最初に精神【メンタル】界層の質料を、それから第二エレメンタル王国のエレメンタル髄質を引き寄せる。この質料と髄質とは彼が直前の天界生活が終わった時までに、彼が到達しえた精神発達程度を正確に現わす。この点において、彼はまさしく終点より再出発するのである。次に彼は自分の周囲にアストラル界層から、その質料と第三エレメンタル王国のエレメンタル髄質とを引き寄せ、かくして新しいアストラル体を形成し、過去世(複数)から持ち越してきたもろもろの欲求、感情、情欲がここに再現することとなる。

 これらのアストラル質料は、物質界層における再生へと下降していく魂が意識的に寄せ集めるのでは無論なく、自動的に集まってくるのである。そのうえ、これらの質料は彼のアストラル生活の最終段階において保持していたアストラル体内の質料と全く同じなのである。こうして人間は各界ごとに前回に終わったばかりの箇所よりその生をやり直すのである。

 読者は以上の記述によって、一部分だけではあるがカルマの法則の働きを改めて認識するであろう(カルマの法則については後続の諸巻で詳しく触れることにする)。各生は前生(複数)と必然的に、自動的に、しかも公平に結びつき、各体全体が連綿と継続した鎖となっている。

 さて、前記のように当人の周りに引き寄せられたアストラル質料は、まだ明確なアストラル体とはなっていない。それは初めのうちは卵形をしており、コーザル体の真姿に一番近い。嬰児【えいじ】(赤ちゃん)の肉体が形成されるや否や、肉体の質料はアストラル質料に対して強烈な引力をおよぼし(このアストラル質料は、前記の卵形にかなりむらなく配置されていたものである)、かくして嬰児の肉体の周囲の中に大量のアストラル質料を集中させる。肉体が成長するにつれて、アストラル質料はそれに追随して、その九九パーセントが肉体の周囲の中に集中し、わずか一パーセントだけが卵形の残部を満たしてオーラとなる。アストラル中核の周囲に質料が集まってくる過程は、急速に起きる場合もあるし、長い間にわたって徐々に起きる場合もある。この過程が終わった時、魂(高我)は自分で造った「カルマの衣装」(アストラル体)をまとっており、「カルマの主」(複数)の下で働く司【つかさ】達よりエーテル複体をいつでも受け取れるようになっている。このエーテル複体を型として、新しい肉体がその中に造り込まれる。

 このようにして、人間の様々な特徴、特質は初めから現われ出ているのではなく、最初は単なる胚種にすぎず、新しい体(メンタル体、アストラル体、エーテル体、肉体)の質料をその表現の場として確保しただけである。この新しい生においてすぐ前の生の時と同じ傾向(複数)に終わるかどうかは、その幼少時代に周囲の人達がその傾向を助長するかどうかにかかる。善かれ悪しかれ助長する態度をとれば、それが刺激となってすぐにその方向に働き出す。反対に助長しなければ、それは栄養を失なって衰滅する。もし刺激されるとそれは前生以上に、彼の新しい人生における強力な要因となり、一方衰滅すれば単なる胚種のままでとどまり、ついに実を結ばずに終わり、間もなく萎縮しやがて死滅し、次の生においては全く消滅する。したがって、子供の場合はまだ明確なメンタル体やアストラル体はできていないといってよい。しかし彼の中と周りにはこの二体を形成する素材となる質料は依然として存在する。

 たとえば過去世において飲んだくれだった男がいるとする。しかし彼は欲望界【アストラル界層】で飲酒欲を(いわば)燃え尽きさせて、飲酒欲よりはっきりと解放されたとする。しかし、飲酒欲そのものはなくなったが、かつては彼を飲酒欲の擒【とりこ】にさせた性格の同じ弱点は依然として残っている。したがって次の生では、彼のアストラル体は飲酒欲の出現を可能にする質料を含むようになる。しかし次の生、いいかえれば今生では前世のようにこの質料を使わずにはおれないという事態にはならないこともある。なぜなら彼は、今生では幸いにして慎重かつ有能な両親の下に生まれ、その手で育【はぐく】まれ、飲酒欲は一切悪であるとする教育を受けることができ、そのおかげで彼は飲酒欲を一切制して、かりにそれが頭を抬【もた】げても抑えつけるようになっているので、彼のアストラル質料は勢いを失い、使われないためにやがて萎縮する。アストラル体の質料は肉体の質料と全く同じように、絶えず徐々に磨滅しては入れ替わり、萎縮した質料が消滅すると一段と精妙な質料がそれに取って代わるものであることを、ここで読者に想い出していただきたい。こうして過去世における欲望への奴隷にとって代わって、自制という反対の美徳が今生において確立され、ついに背徳は征服され、これより後、悪徳の台頭は不可能となる。

 人間の一生のうち、初めの数年間はその高我は体(複数)をよくは支配し得ないので、しっかりと掴めるように両親の指導を期待し、適切な環境を作ってくれることを両親に求める。このような諸体は特に乳幼児期にはどのようにでも塑成【そせい】しうるものであるという事実はいかに誇張しても誇張し過ぎることはない。たとえば将来アクロバットにするために訓練をしている子供達のように肉体は初期ほど鍛錬すれば多くの成果をあげうるものであるが、アストラル体やメンタル体の場合は、はるかにそれ以上の効果をあげうるものである。子供達は自分達の遭遇する波動【ヴァイヴレーション】はどんなものであってもそれにわくわくして感応し、自分達の周りのものから発散する影響は、善悪の差別なしにすべて熱心に感受する。そのうえ子供達は感応しやすいだけでなく、いったん感応すると次からはその型にはまりやすく、やがてそれは凝り固まって習慣となる。いったん習慣となってしまったが最後、余程の努力をしないかぎりそれを覆すことはできない。このようにして、子供達の未来というものは、最も愛深き親が理解しているつもり以上に、親の手中にあるのである。ある教師の野蛮な行為が、ある子供の体(複数)を取り返しのつかないほどに傷つけ、そのためにその子供は期待を寄せられていた進歩をついに今生では十分には遂げずにしまった、という悲しい記録もあるくらいである。子供の初期の環境は、きわめて重大なのであるから、大師の資格に到達する生は、幼少時代に、絶対に完全なものでなければならない。

敷居の住者

 異常なほどに強靱なアストラル体を持っている低級なモナドが死後間もなく再生すると、アストラル界層に残してきた「影」や「殻」がまだ余命を保っている場合が間々あり、そのような場合は再生した本人の新しい低我体にそれが引き寄せられる恐れがある。そういうことが現実に起きると、前生の陋固【ろうこ】(古くて頑固)とした習慣と考え方とが蘇り、時には前世の記憶までが蘇ることもある。

 前世において背徳の生涯を送り、死後そのアストラル体とメンタル体とが高我から引き裂かれたために、アストラル界層やメンタル界層で生活する媒体がなくなった高我は、急いで新しい体をつくらなければならなくなる。こうして新しいアストラル体とメンタル体とが造られても?、新しい体と古い体とには似通っているところがあるため、まだ瓦解していない古い体が主導権を握るようになり、かくて古いメンタル体とアストラル体とは密教でいう「敷居の従者」という最も恐るべき存在となる。もっと極端な例になると、再生への道の途中にある人間が不道徳な渇欲その他のために、動物(その種類を問わず)との間に非常に強い繋がりができると、彼は自分がその低級な性質を刺激し助長したその動物のアストラル体と、磁力のような親近性によって繋がり、やがてその動物の肉体に囚人のように繋がれることがある。そうなると彼はもはや人間として物質界層への再生の道に進むことはできなくなる。彼はアストラル界層においての意識を保ち、人間としての諸能力も持ってはいるのだが、もはや繋がれてしまった動物の肉体を御【ぎょ】することはできず、その動物体を通じて物質界層に人間としての自分を表現することもできない。かくしてその動物の肉体機構は彼という人間を容れる器ではなく、彼を幽閉する獄吏となる。一方、その動物の魂は体外に排出されることなく、動物自身の体の当然の居住者でありその御者として体内にとどまる。かくのごときは幽閉であって、決して生まれ変わりではない。ただこの種の事例が、人間が時によっては畜生として生まれ変わることもある、とする東洋諸国によくある輪廻転生信仰の少なくとも部分的な証拠となっていることは容易に肯ける。

 魂が前述のような抜き差しならぬ幽閉に落ちこむほどには堕落していなくとも、そのアストラル体があまりにも動物化してしまうと、人間として一応は当たり前に生まれ変わってきても、動物化したアストラル体は今生に再び持ち越され、動物的ないろいろな特徴が再生後の肉体に大きく再現する。その実例が、見るからにおぞましい動物の姿や豚や犬などの顔をしたいわゆる「怪物【モンスター】」である。このように、人間としての意識はありながら一時的に進歩と自己表現から切り離された者に課せられた苦悩は極めて大である。もちろんその働きは矯正ではあるが。それは、たとえば白痴や精神異常などの不健康な脳を持つ人体に繋がれている他の魂たちが耐え忍んでいる状態にいくらかは似ている。

 精神異常は残酷な行為の結果であることがよくあり、その残酷さが手の込んだ、かつ意図的な性格のものである場合、特にそうである。

〔訳注〕

(1)生まれ変わりの際に、新しく構成される精神体の「素」。同様にしてアストラル体、物質(体)の「素」の場合は、それぞれ、アストラル恒久原子、物質恒久原子という。

(2)欲望が強化したものが意志。この二つは同一延長線上にある。

(3)もちろん同情すべき原因によって精神の異状を来たす例外も多くありうる〔訳者〕。


 
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