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トランス・ヒマラヤ密教叢書

『神智学大要』第四巻コーザル体(上)

 
第十五章 コーザル体の機能

コーザル体の二つの機能

 コーザル体という言葉は、この体の中にそれよりも下の各界層において結果となって現われる原因が宿っているところから名付けられたものである。人生に対する様々な態度を取らせ、行為をなさしめる原因となるものは過去世(複数)における体験であって、それはコーザル体の中に蓄積されているのである。梵語ではコーザル体をカーラナ・シャリーナKarana Sharinaというが、カーラナKaranaとは原因という意味である。

 手短にいえば、コーザル体には二つの機能がある。すなわち、

(1)魂の乗物としての働き。コーザル体は「精神【マナス】」の体、個々の人間、真人、思考者の形体面である。

(2)人間の各生【しょう】における経験の真髄を入れる容器あるいは貯庫としての働き。

 コーザル体は各生における体験をいわば篩【ふるい】にかけた後に残るもののうち、長続きしうるものはすべてその中に織り込み、美徳の胚種となるものを貯え、次の生まれ変わりまで持ち越すものである。故に人間の下位の顕現すなわちメンタル体、アストラル体、肉体に現われてくるものは結局は真人自身「(古文献にいう「時の告げられることなき者」)の成長と発達とに負うている。第十三章で学んできたように、コーザル体が出来上がっていないかぎり人間なるもの、本当の人間は存在しない。人間はすべて一人々々必ず一コのコーザル体を有する。個々の人間としての存在を構成するのは、それぞれが一コのコーザル体を所有するということに外ならない。

 コーザル体の誕生に先立つ無限にも等しい年月の間に行なわれた巨大なる努力は物質界層、アストラル界層、下位メンタル界層の質料の発達と形成とに捧げられ、ついにこれらの質料が神霊が人間として住するにふさわしい棲処【すみか】となるのである。

 すなわち、神人の形体面であるコーザル体の初まりはやっと目に見えるきわめて精妙な質料でできた微妙な薄い膜であるとされ、当人が群魂より離れて一個人としての生活をどの段階で始めたかがわかるようになっている。この極めて精妙な質料より成る微妙な、ほとんど無色の体はその人間の進化の全期を通じて持続し、これが糸のようになって(これを糸我、時にはスートラートマー sutratmaという)その上に将来の生まれ変わりが幾つも連【つら】なる。

 前述のようにコーザル体は永続するもの――すなわち、高貴にして調和にみち、かつ霊の法則に叶【かな】うもの――だけの容器である。なぜならばあらゆるすぐれた、高貴なる思い、あらゆる純粋、高尚なる感情は上に挙げられ、その精髄がコーザル体の質料【サプスタンス】の中に組み込まれるからである。したがってコーザル体の状態こそはその人の成長、その人が到達した進化の段階の本当の登記簿、唯一真実の登記簿である。

 すべて人間の体(複数)は神我(真我)が宇宙のある域内で機能【はたら】くための媒体あるいは乗物と見るべきである。人間がある場所より他の場所へ移動するのに地上であれば車輌を、海なら船舶を、空なら気球を用いるが、それでいてそのすべての場所において、本人は変わることなく本人であり続けるように、真我、真の人間もまたいろいろな体を――それぞれ独得の目的に合うように――利用し、それでいてどの時間にどの乗物を用いて機能【はたら】いているにせよ、常に本人自身は変わることなく本人であり続けている。その人にとって相対的にはこれらの体は過渡的なものである。それは彼の道具であり、召し使いである。それは磨滅しては次々と更新され、彼の変わりゆく要求と、絶えず成長しゆく力(複数)とに適合するようになる。

 もっと細かくいえば、心【マインド】は基本的には二重の働きをするために、人間は二つの精神体を必要とするし、また与えられている。本書の前篇『メンタル体』で見たように、メンタル体は具体的な想念を扱うところの具体的精神【マインド】に仕えるものであり、同様にコーザル体は抽象的な思考のための器官である。

瞑想の想像力・「鞘」 

 コーザル体の中に住まっている思考者の中には、あらゆる力すなわち記憶、主観、意志(これらの働きをわれわれは〔精〕心と称している)がある。この思考者は彼の経過【へすご】してきた地上での生【しょう】(複数)のあらゆる体験を残らず集め、それを彼自身の聖なるアルケミーによって自分自身の中で経験と知識との精髄に変性する。この変性されたものを英智というのである。地上の短い一生においてさえわれわれは獲得した知識と、まれではあるがその知識を蒸溜してえた英智とは違うことがわかる。英智とはある生【しょう】における経験の果実であり、年老【お】いし人々の擁する最高の財産である。もっと充実した意味でいえば、英智とは幾度もの生まれ変わりの果実であり、多くの経験と知識との産物である。かくして思考者の中には、もろもろの過去世において苅【か】り入れ、幾度もの再生を通じて収穫した経験の貯庫がある。人間の諸体は「鞘【さや】」にたとえて分類されるが、その中でもコーザル体は次表でもわかるように最高の鞘とされている。

 ヴィジュニヤーナマヤコシャVijnanamayakoshaという梵語【サンスクリット】の不変詞Viは物事を識別し、分離し、配列することを含蓄するが、それこそがこの鞘【さや】の独特の働きであるためにこの話が使用されたのである。このヴィジュニヤーナマヤコシャすなわちコーザル体の中にマノマヤコシャManomayakosha(下位心)からの体験が理想的な観念として反映する。マノマヤコシヤは蒐集し、苦辛【くしん】し、ヴィジュニヤーナマヤコシヤ(上位心)は識別して配列する。下位の体(複数)は感覚、知覚を受け、扱い、観念を造り、かつ仕上げる。しかしこれらを整理して識別し、それらを理詰めで抽象し、具象的なものより分離して純粋なる観念を扱うのはコーザル体の仕事である。

 したがって、コーザル体の中には非具象的な、したがって五官のために混乱することもなく、外界より干渉されることも決してないところの純粋な、内部の働きがある。ここに純粋なる智慧、明澄なるヴィジョン、五官によって動かされることなき智慧、静かなる、強大なる、穏やかなる智慧があるのである。

 コーザル体の中には瞑想の創造力すなわち一心の静慮より生ずるエネルギー(複数)がある。これが人間の創造する鞘である。なぜならば人間の中のマナスManas(心)は宇宙におけるマハトMahatすなわち善遍心、聖なる観念、塑成【そせい】し、指揮する力、すなわち万物、万生発現の根源である創造力に相当するからである。人間のこの鞘の中にすべての形態の素【もと】があり、この創造力はこの形態の素【もと】を客観的存在にするのである。

 『密教【シークレット・ドクトリン】』(第一巻、三一二頁)に曰【いわ】く、「クリヤーシャクティKriyashaktiすなわちそれ自体の内在のエネルギーによって外的な、認知しうる、現象としての結果を生み出す神秘な力。古代人はいかなる考えでもそれに深く注意を集中すればそれは外部に現象化するものである、と確信した。同様に、強烈な意志も欲した通りの結果を生み出すものである」。これこそがあらゆる真の「魔術」の秘密であることは申すまでもない。

 人間の内部の智慧は既述のようにブラフマーすなわち普遍心、すなわちまた創造エネルギーの反映である。人間の中にある想像の創造力は現在のところでは微妙な質料の中(すなわちアストラル界以上の世界)でしか働かないが、人間が完全になると粗雑な質料の中(物質界)でも働くようになる。なぜならば既述のように人間内部の想像力は宇宙を創造した力の反映だからである(すなわち、物質界においても人間の想像したものはそのまま実現するようになる|訳者)。ブラフマー Brahmaが瞑想することによって一切の形あるものは生じたのである。そのように心の想像力の中にあらゆる形となる可能性が存在する。

 故にブラヴァッキーは精神【マナス】を時にはデーヴァ我、すなわち他の低我と区別して神我ともいった。高我は積極的想念(クリヤーシャクティ)すなわち物事をなす力をもつから神性である。このようにしてマナスすなわち心はその性質上活動することである。一切の仕事は実は想念の力によって行なわれている。たとえば、彫刻家の手が業【わざ】をなすのではなく、想念の力がその手を動かして業をしているのである。想念が行為に先行する||これはもう今では常套【きまり】文句になっている程である。なるほど、よくいわれるように、何も考えずに事を為す場合もあるにはあるが、しかしそういう場合でもその行為は以前に抱いていた想念の結果なのである。すなわち、彼にはすでにある考え方をする習慣ができていてその場合もその考え方にしたがって本能的に行為しているのである。

アートマーとコーザル体

 霊的意志【アートマー】がコーザル体の中で働くと、その外向性のエネルギーはコーザル体の外部にある一切のものを支配し、塑成する力となる。マノマヤコシヤ(アストラル体と下位精神体)の中で働くと、こんどは欲望となり、外部の事物に惑【ひ】きつけられ、その指揮は外部より支配されるようになる。これが欲望の特徴である。しかしコーザル体の中で働くアートマーは意志であって、外部からのいわば指図によって選択をきめるのではなく、識別力を発揮して熟考の末、内部から自発的に選択するのである。このようにして、外に向かうエネルギーはコーザル体の中では内部から導かれてその方向を決定し、コーザル体以下の体(複数)の中では外部に引き寄せられる。これが意志と欲望との基本的な違いである。なおまた、意志は基本的には魂の一特質であって低我にはない特質である。

 チットChitすなわち人間の知性の面はまず第一に進化させられるべきものである。それは多様性と差異とを知覚して分析する能力である。その次に進化させるべきものがアーナンダAnandaすなわち英智であり、それは一切の存在が一体【ユニティー】であることを悟り、一切の存在の結合【ユニオン】を完成し、かくして生命の核心【ハート】になる歓喜すなわち至福を発見する英智である。最後が第三側面すなわち最高側面であるSatすなわち自在すなわち結合【ユニオン】をさえ超えた全一【ニニティー】である。

 人種の発達の周期から見て、第五人種(アーリア人種)はチットChitすなわち智性の側面を発達させつつあり、第六人種はアーナンダAnandaすなわち結合【ユニオン】ないし至福の面、「幸【さいわ】いの王国」を、第七人種はサットSatすなわち自在の側面を発達させることになっている。

 

 
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